【双子育児】産後の妻と再会
松平健は一生普通の歌を歌わないのでしょうか。
こんにちは、めいやんです。
今日から出産後の話です。
出産のときの話はこちらから。
一卵性双生児の男の子が33週で我が家に誕生しました。いわゆる未熟児のため、点滴用の管や胃に直接母乳を流し込む管、酸素供給用の管、心電図用の電極など体にたくさんの線をつないで保育器に入っていましたが、泣き声をあげることもできていましたし整った顔立ちをしていました、両親に似て。
帝王切開の後かなり消耗していた妻も1週間後に退院できました。もちろん消耗している中で母乳を絞るのはしんどかったようですが、病院とか市役所でもらった冊子にも書いてあった通り、赤ちゃんを見ることでもらえるエネルギーはやっぱりすごいものがあったそうです。
退院の日、私は妻に会いにいきました。妻は里帰り出産なのですが、帰省からほどなくして管理入院が始まりコロナのため私は病院に入れなかったこともあり妻に会えていませんでした。出産した日も会えていません。なので久しぶりに妻に会う感覚でした。
妻は、なんというか、つらさが顔に出ない人です。出産すると車にひかれたくらい体がダメージを受けると言いますし、双子ならちょい強めにひかれた感じかもしれません。しかし妻は歩きこそおぼつかないものの割と普段通りの顔で立っていました。
コロナのため入院後はずっと一人で心細かったでしょう。徐々に羊水が漏れ、投薬量が増えるのは不安だったでしょう。それでも一人の体から見事に二人を産んだ妻は割といつも通りの顔をしていました。
このポーカーフェイス(?)に油断してついつい妻に負担をかけてしまうのはまた後の話です。
その日初めて妻と二人で子供と会うことができました。子供を見るのは出産の日に見て以来の1週間ぶりでしたが相変わらずかわいい、かわいい。産まれた時はまだ決まってなかった名前もこの時には決まっていたのですが、なんだか名前で呼んでいいのか不思議な感じでした。このころから兄はのんびり屋さんで弟はパワフルという印象だったのですが8か月になる今でもその印象は変わりません。先にずりばいできるようになった弟が兄のおもちゃを横からかっさらうのも日常茶飯事です。
NICUの子供の配置は、注意が必要な子ほどお医者さんの目の届きやすい位置になるそうですが、息子たちは比較的心配いらないほど元気で、一番奥まったところで過ごしていました。退院は7週間後、つまりもともとの出産予定日周辺になるということだったので、この日は子供たちを病院に残して妻の実家に帰りました。そして翌日、決定した名前を引っ提げて市役所へ出生届を提出しました。
命名のときの話はこちらから
結構、市役所へ出生届を出す際のミスはテレビで見たことがあります。中川し”ょ”うこのつもりが中川し”よ”うこになったとか大”佑”のつもりが大”佐”になったとか、まあそれはそれで面白いのですが、ちゃんと自分の意図したとおりに名付けたかったので細心の注意を払いました。
その後妻の実家から自宅に戻った私は、子供たちが入院しているのに私が育休に入るのもなあ、ということで子供たちの退院の時期に合わせて育休に入れるよう会社と調整をしました。なので私が育休を1年とっているというのは正確には嘘です。子供の退院から1歳までの10か月ほどしか育休はとっていないのです。有給消化もありますしね。
余談ですが、子供は産まれた時だいぶ薄毛でした。ふさふさな赤ちゃんを見るたびに我が子はちゃんと生えてくるか心配だったのですがだいぶ生えてきた今となっては薄毛もかわいかったなと思います。なので妻には私がはげてもかわいがってもらいたいものです。
【くせ毛】梅雨の憂鬱
「前髪を切ったのに気づいてくれない」という妻に「3週間延ばしたひげを剃ったけど気づいてくれない」というカウンターを決めることに成功しました。
こんにちは、めいやんです。
出産後の話を書こう書こうと思いつつ、なかなか筆が進まずまた日常の話です。
梅雨なのでくせ毛の話です。
私はくせ毛です。あまり天パーとかちぢれ毛とかいう表現が嫌いなので繰り返しますが”くせ毛”です。
幼少期
小学校くらいからずっとこの髪質が少し嫌でした。小さい頃はできることも大してないので手櫛で何度も髪の毛を引っ張ったりしていましたが、そんなことで直るわけもなく不本意な髪形で学校に通っていました。
同級生からも髪の毛のことでからかわれることが多かったですが、何か言ってくるのはたいてい大して悪意のない普通に仲のいい子だったので喧嘩になるとかでもありませんでした。というか髪のことをいじるだけで楽しそうな連中だったので相手するのが楽だなあと感じていました。ただ内心はずっと気にしていました。
中学、高校
中学生になったころ、試しに兄のもっていたヘアーアイロンを当ててみたりしていました。当時のはやりの髪形はギャル男系というのでしょうか、ストレートで長めのスタイルがはやっていて男でもアイロンを持っている人が多い時代だったような気がします。あてた感想としては、髪の毛が短すぎて当てづらい。アチッと何回もなって髪もうまく伸びない感じでした。あと北陸に住んでいたので雨が多い。アイロンをしたところで雨の前では無駄です。
そして結局なす術なく高校まで過ごしました。
大学生
そして大学生になってついに私は縮毛矯正をかけるようになりました。
楽だし個人的にはだいぶ気に入っていたのですが周囲からの評判は散々でした。不自然だと。くせ毛の方が似合っていたと。さんざんくせ毛を嫌だと思ってきた私に今更そんなことを言われても受け入れられるはずもなく縮毛矯正をかけつづけました。
ちなみに初めての美容師さんからも結構な頻度で「いい仕事してますね」みたいな感じで「いいクセしてますね」と言われます。その言葉を信じたい気持ちもありましたが、接客業の人の誉め言葉を真に受けるには私がくせ毛を気にして生きてきた時間は長すぎました。
そんなこんなで縮毛矯正を当て続けていたのですが、大学を卒業し大学院生になったころやめました。さんざん不自然と言われたためその髪型で就活に臨むのは避けた方がよいと判断したのです。
幸いそのころにはえりあしやもみあげを短く切るくせ毛にうってつけのスタイルがかなり市民権を得ていました。そして私は美容院で1つ技を授けてもらいました。手でひっぱってテンションをかけながらドライヤーで髪を乾かし髪を伸ばし技です。そして私はこの技を完全にマスターしました。引っ張り加減で割といい具合にくせを残しながらヘアセットできるようになったのです。そのため初めて私の髪が濡れている状態を見た人は結構驚きます。そんなにくせが強かったのかと。そしてそこから乾かすと、ちゃんといつもの状態になったと少しウケます。
結局私は自分の髪質と付き合っていけるようになるまで20年以上かかりました。
この間、衝撃的な出来事がありました。中学生の頃、母にくせ毛のことを嘆くと「じいちゃんに似たんやねー、大丈夫かっこいいよ」みたいに適当に流されていたのですが後に母もくせ毛で日頃から縮毛矯正をあてていたことが発覚します。自分はがっつり対策しとったんやないかい。そして罪を祖父になすり付けるんかい。
そんな私ですが双子の子供たちもくせ毛だとこの梅雨に判明しました。私が20年以上かけた技術は子供に一子というか二子相伝で伝わっていくことになりそうです。
余談ですが、妻からはげることは禁じられています。くせでもなんでも抜けないことを祈るばかりです。
【育休中】ピロリ菌陽性でうろたえる
赤ちゃんの最初の発語として「パパ」をもらうのは口の構造的に不可能に近いと親になって気づきました。
こんにちは、めいやんです。
健康は何より大事です。
というのも最近胃にピロリ菌がいる(可能性が高い)ことが血液検査でわかりました。
名前こそかわいいですが胃がんを引き起こす細菌です。今後地獄と噂の胃カメラを受ける必要があり憂鬱です。
とはいえピロリ菌が確かにいるということになっても、薬で除菌すれば済むそうでそれほど深刻な事態ではないようです。
妻は「井戸水飲んで育ったの?笑」と田舎育ちの私をバカにしてきます。飲んでいましたが。
ところで、本来は私は体が丈夫なことを自負していますしそう産んでくれた親に感謝しています。骨が折れたこともないし、虫歯もありません。乗り物酔いもしません。アラサーですが全然メタボでもありません。勝負どころで風邪をひくこともありませんでした。
そんな私でも見舞われた健康トラブル2選が今回の内容です。
1.肺気胸
要するに肺に穴が開いて空気が漏れる病です。小学生の頃から原因不明の胸のちくちくが度々ありました。そして大学生になったころ、結構な痛みと息苦しさを感じその上寝返りをしたときなんかに胸の中を液体が流れるように感じたことがありました。歩くのも苦しくてままならなかったですが、どうにか病院に行ったところ肺気胸と診断されついに長年の不調の正体がわかりました。
肺気胸は長身でやせ型の男性がなりやすいそうで、後日分かったのですが兄、父、祖父、従弟も軽度の肺気胸もちでした。私は肺気胸界のサラブレッドだったのです。
結局私は産まれて初めて手術をすることになりました。手術自体は全身麻酔をしていたので何ともないのですが、目が覚めたあと尿の管は気持ち悪いし、肺に太い管がつながっていて息苦しいし、なぜか全身かゆいし最悪の目覚めでした。
二度と手術を受けたくないと思いました。
肺から太い管を抜く際は普通に意識がある状態だったのですが、研修医の先生が「こうですか…?」とか言いながら医療用ホッチキスで穴をふさぐのが怖くて仕方なかったです。
2.大腸カメラ
社会人2年目のときです。出張から帰ってきて久々に自宅のトイレで大をして紙でふいたのを見ると真っ赤。便器の中を見ると水が赤く染まっていて仰天しました。今思うと慌てすぎですが、初めての経験だったということもあり大腸がんを疑って大腸カメラを受けました。
大腸カメラを受けるには腸の中を空っぽにする必要があります。
大量の下剤(2Lくらいだったか)を病院の小部屋でちびちび飲んでは時々院内を散歩することで腸を刺激して何度も便をすることで腸を空っぽにしていきます。この下剤がまずい。いや、平気な人は全然平気だと思うのですが酸っぱいものが苦手な私にとっては本当にきつかった。
相部屋になった方とちびちび下剤を飲みながら語らったりしましたが、その方のほうが順調に便を重ねていて私はあせりました。こんなにまずいものをこれだけたくさん飲んだのに腸を空っぽにできず、別日にやりなおしになるのは辛すぎる。必死に下剤をあおり院内を歩きまわりました。結果どうにか腸を空にでき、ついにカメラに進みました。
大腸カメラはたいして苦痛を伴わないと聞いていたのですが、地獄でした。私の場合序盤からつらかったのですが、一番痛みを伴うらしい大腸のカーブに差し掛かった時はあまりの痛みで顔色が悪くなり医師に心配されるほどでした。改めて寝ている状態で再検査することを提案されましたがまたあの下剤を大量に飲むことと天秤にかけた結果、続行を選びました。
検査結果はまったくがんではありませんでした。なんなら痔でもありませんでした。一時的に切れただけみたいです。安心した一方で大げさなことをしてしまったという恥ずかしさもありました。
ちなみに検査後、腸が空のためめちゃくちゃお腹がすきました。あの時はもう無限になんでも食べられる気がしました。今後受けられる方は後夜祭を企画しておくとよいと思います。
やはり健康というものは何かあったときにそのありがたみがわかりますね。
一方でちょっとした不調であれば気づかず付き合っていたりします。私は人より鼻水がちょっと出ると思っていましたが妻と同居するようになって初めて鼻炎だと気づくことができました。これまで当たり前のように不調と付き合ってきた自分をちょっと褒めたいと思ったできごとでした。
【双子育児】はいずり回る息子+α
最近童話「金太郎」を改めて読んで、あまりにも物語性の無い話でびっくりしました。
こんにちは、めいやんです。
何を書いていくか定まらず投稿まで空いてしまいました。
とりあえず何か書かないと二度と書かなくなる気がしたので最近の出来事3選を書きます。
1.ずりばい習得
双子の弟がずりばいを習得しました。月齢は8か月、早く生まれた分を修正すると7か月です。ずりばいは生後6から9か月で始めることが多いそうで順調に成長してくれています。
兄は未修得です。一卵性なので兄と遺伝子的には全く同じなのですが、不思議と性格や行動は結構違います。
ずりばいできるようになって興味を示したものランキングを発表します。
- 3位 テレビのリモコン
- 2位 アンパンマンのおむつケース
- 1位 洗濯を干すときに使う選択ばさみがいっぱいついたやつ
1位の名称がわからないというまさかの事態です。
2.ママ神話ついに崩れる
先ほども書きましたがうちの双子は一卵性です。見た目もまあまあ似ていますが普段は普通に見分けがつきます。
ところが最近異変が起きました。
どうやらうちの双子はクセ毛だったようで、最近梅雨の湿気で前髪が不規則にうねるようになりました。これで一番簡単だった前髪の長さで見分けることが封じられました。
2番目に簡単な目元での見分けですが、目を閉じて泣いていたりするとこれも通用しません。
これまで無敵の見分け力を誇っていた妻でしたがますます区別が難しくなった双子の前に、先日普通に間違えていました。
3.離乳食講習会
市が運営する離乳食講習会に参加しました。講習会は初期、中期、後期の3回に分けて行われるもので、今回は中期(9-11か月児向け)に妻と一緒に参加してきました。
ちなみに参加者約12人中男性は私1人で、十二支でいうと唯一実在しない竜の気分でした(適当)。
楽しみにしていたのがなんと言っても試食です。5品ほど食べさせてもらいました。
味の感想は妻と一致したのですが、我が家で普段食べているものと大差なかったです。
もともと妻が割と薄味で味付けするのです。そして細かく具材を切っていても結構歯ごたえがあったのでその辺も普段の食事とあまり変わらなかったです。子供たちと同じものを味わえる日も遠くなさそうです。
もう一つ講習会後に妻と話していたことがあります。講習会で当たり前のようにレバーやら冬瓜が出てきてふむふむと思って聞いていましたが、冷静に考えて普段私たち夫婦はほぼ食べないよねということです。
ちなみに先日めいやん夫婦は初めてセロリを食べました。というか確実にセロリだと認識して食べたのは初めてでした。食べたことないものを大人まで残しておくのも結構楽しかったりします。とか言いながら離乳食にレバーとかよく扱い方の分からない食材を入れない言い訳を探しているだけかもしれません。
uh がんばってみるよ育児 やれるだけ。
後輩が残した謎を解くため腐海を探す
電柱と電信柱は別物らしいです。
こんにちはめいやんです。
前回までは双子の妊娠のときの話でしたが、出産まで話ができたのでいったん妊娠編終了です。
これから何の話にするかは考え中ですが今日は日常の雑記です。
妊娠のときの話はこちらから
大学生のときの思い出
最近金曜ロードショーで風の谷のナウシカをしていました。ナウシカを見るといつも思い出すことがあります。
大学生のとき、サークルの後輩にヨーロッパからの帰国子女の男の子がいました。親御さんが研究者らしく何の研究をしていたか聞くと
「ナウシカってわかりますか?あれにでてくる腐海について研究しています。」
とのことでした。
その時はへーそうなんだーで話が終わりましたが、10年ほどたった今でも頭の中はクエスチョンマークでいっぱいです。
腐海は実在するのか。実在するとしてナウシカのような恐ろしいところなのか。どんな研究をしているのか。後輩の親御さんはメーヴェに乗るのか。
調べてみた
そしてついに約10年の時を経て、満を持して昨日調べてみました。
結論から言うと腐海は存在するそうです。黒海の北東、ウクライナとロシアに挟まれるような形でアゾフ海があります。このアゾフ海の西岸の方の干潟を腐海と呼びます。
腐海という名前の由来は、夏になると海水が熱せられて腐ったような強い悪臭を放つからのようです。
また干潟も周辺の湿地も塩分濃度が比較的高くあまり植物が生えていないようです。
つまり、シンプルに臭い海。
瘴気を発する森もなければ、バカでかい虫もいないようです。メーヴェも乗りません。
深まる謎
うーん、名前こそ一緒ですがナウシカの腐海と実在の腐海は全く別物です。そう思うと後輩が言っていた”ナウシカに出てくる”腐海という表現に合わないような。でもこのアゾフ海がナウシカのモデルになったのは事実のようです。
このシンプルに臭い海についてどんな研究をするのか、それも気になりました。調べると気候とか生態系に関する論文がでてきて、当然と言えば当然ですが研究は行われているようでした。
ただナウシカを見た身からすると、どこかに名前こそ腐海ではないけどナウシカの腐海みたいなところがあってとんでもない研究をしていると思いたいところです。
ということで長年の疑問を解決するために調べたところ、より謎が深まってしまいました。まあでもどこかにナウシカみたいな腐海が実存するかもしれないと思って生きている方が楽しいじゃないですか(適当)。
最近は梅雨の湿気がきついですが家の中が腐海にならないことを願うばかりです。
【双子妊娠】出産当日<後編>
メーカー自らおしゃれという商品はたいていあまりおしゃれじゃないですね。
こんにちは、めいやんです。今回は出産当日の話の後編です。
前回の話はこちらから
妻のもとへ向かう途中義父から連絡があり、子供はもう産まれたが詳しいことは私の到着後に医師から説明があると聞きました。
何かあったのではないかという不安とついに自分の子どもに会えるというわくわくではやる気持ちを抑えて妻のもとへ急ぎました。
病院に到着すると義父を含め義実家の面々が迎えてくれました。
そこで聞いたのが、コロナ禍のため妻には誰も面会ができず、産まれた子に会えるのも両親だけということでした。
私が到着するまでの間、妻の近くで待機してくれていた義父たちにお礼を伝えた後、看護師さんの案内に従って私一人でNICU(新生児集中治療室)に入りました。
子供との対面
ついに私は自分の子供たちの姿を見ることができました。
それぞれの保育器に入った我が子は2人とも健やかに寝ていました。2人とも体重2㎏に満たないということでしたが、存在感は堂々としたもので顔だちも新生児とは思えないほどしゅっとしていました。対面から1秒で親ばかが始まったわけですね。
眺めていると弟の方がほぎゃほぎゃ泣き始めました。33週での出産の場合肺が未熟な可能性もありました。しかし妻の壮絶な点滴生活によって、そして本人たちの頑張りによって肺を成熟させ産声を上げて産まれて来たのかと思うと胸がいっぱいでした。
産まれてきてくれた感動、父になったという不思議な感覚、無事なお産だったかという心配、結構顔が整っているなという感心などなどいろいろな気持ちが渦まいて無言で赤ちゃんを眺めている私に、看護師さんが「かわいいですよね~」なんて声をかけてくれましたがまともに返答できませんでした。
母子ともに良好
その後医師から説明をうけました。まだミルクを自力で飲めないので鼻から胃に管を通していること、それと別に栄養用の点滴をさしていること、念のため酸素補給用の管をつけていることを聞き、子供の体にたくさん管がついている理由がわかりました。しかしこれらは33週で産まれた場合は普通のことであってお産は問題ないものであり妻の方も無事であったと聞きここでようやく安心することができました。
そしてもろもろの手続きを聞いた後、妻には会えないまま病院を後にしました。
義実家に泊めてもらった翌朝、妻と電話で話すことができました。想像通り私に電話したあと直ちにに帝王切開が始まったそうでした。
そして子供たちはまず一人目が産まれて「ほぎゃあ」、間もなく二人目が産まれて「ほぎゃあ」手術室に重奏があふれ妻の目から静かに涙が流れ落ちたところを麻酔科の先生が優しく拭ってくれたそうです。帝王切開なのでもともと立ち会えないとはわかっていたのですが私も同じ空間にいれなくて残念でした。
かくして私は双子の男の子の父になりました。
余談ですが、妻は先日アマゾンprimeで産婦人科医のドラマ「コウノドリ」を見て自分の出産を思い出して泣いていました。育児で忙しい中でしたが見事に無料体験期間の中で全話見きっていて感心させられました。
子供たちからどうやって子供はできるのか聞かれたときコウノトリが運んでくると答えるのか他の嘘を考えるのか今から楽しみです。
【双子妊娠】出産当日<前編>
レッサーパンダは残念ながらジャイアントパンダよりスカンク寄りかもしれません。
こんにちは、めいやんです。
最近はずっと妊娠のときの話でしたがついに出産のときの話です。
前回の内容はこちらから
里帰り後の通院
25週のときに里帰りした後はしばらくはおだやかな時間がつづいていたようです。
私も一度妻の実家に会いに行きましたが(コロナ禍であまり往来が好ましい時期ではありませんでした)お腹ははちきれんばかりに巨大になっていました。
妻の地元には双子出産ができる病院は県内に1つ大学病院があるのみで、そこは妻の実家から車で1時間弱くらいのところでした。めちゃくちゃ遠いわけでもないですが、緊急のときを思うと少し不安がありました。妊娠27週からは毎週その病院で経過を見てもらいました。
管理入院開始
そんな中妊娠31週のとき妻が下腹部の痛みを訴え病院に行ったところ管理入院が始まりました。これで家から病院の距離は関係なくなりましたが、それ以上に心配することになりました。すでに子宮口が開いてきているとのことでした。
その後妻は完全にまな板の上の鯉(?)になります。基本ベッドの上から動かず絶対安静です。
子供がただちに生まれないようにリトドリンやマグセントという薬を点滴するのですが、これらは倦怠感、発熱、のどの渇き、手の震えなどの副作用がある薬なのです。しかもその量は日に日に増えていきました。
ただでさえお腹の中に子供が2人も入っているため内臓が圧迫されて苦しいのに、まさに命がけです。
ただ妻は少しでもより成熟した状態で子供を産むという強い意志のもと必死に頑張ってくれました。
こういう時男にできることはありません。無力です。
そして出産へ
そして妊娠33週のとき妻は破水します。それでも投薬しながら頑張っていたのですが今度はお腹が痛むようになります。もう1日とりあえず様子を見ることにはなったのですが、先生のシフト交代があり別の先生に診てもらったところこれもう出てきてしまうぞ、緊急帝王切開や!と言われたそうです。
日曜の15時のことでした、妻から電話がかかってきて「今日が誕生日になる」と告げられました。この緊急事態になんでそんなに粋な言い回しなのかというツッコミが頭をよぎりましたが口には出しません。手術の開始時間はわからないが当日の執刀になるとのことでした。
余談ですがこの電話で「16時に予約した今日の英会話講座どうしよう」と相談を持ちかけ妻を若干イラっとさせてしまいました。今思うとこれから大一番って時に何言ってるんだって感じですね。
コロナ禍のため駆けつけても子供に会わせてもらえるかはわかりませんでしたが、はやる気持ちで私は車に乗って妻の病院に向かいました。最速で18時には着く見込みでした。私の想定では、執刀までなんやかんや2時間くらい出産が1時間くらいでちょうど18時くらいに子供が産まれてきてジャストタイミングかなと思っていました。
しかし妻のもとへ向かう私のもとへ義父から連絡が入ります。16時に産まれたと。想定よりだいぶ早かった、でもまずは産まれてよかった。ただ詳しいことは義父も聞かされていないようで私が到着次第医師から話してもらえるということでした。正直何かあったのではないかという不安を抱えつつはやる気持ちで私は病院へ向かいました。
次回に続きます。